「この時のためにこそ」 01.11.25 エステル4:1〜7,マタイ10:26
ただ漫然と今の自分がいるのではなく、自分を生かす神の願いが今の自分に
込められていることを信じたとき、その人生は確かなものとなっていきます。
ペルシャの王妃であったユダヤ人エステルは、王宮で暮らしています。
それは、物質的には恵まれた生活だったに違いありません。
しかし、王宮で王の力を見るうちに、王こそが最大の力を持ち、人が生きるのも死ぬのも
王次第かのように勘違いをします。王の力こそ、逆らうことのできない力と思いこんでいました。
そのころ、王の側近のハマンは、ユダヤ人の根絶を企て、それを実行するため王の承認を
取り付けます。それを知らされたユダヤの人々は嘆きました。
しかし、エステルは、自分にはどうにもできないと思うのです。
エステル記は、神なき世界を描きます。この世の支配者や権力者が大手を振っている世界です。
それに対抗するすべがないように見える世界です。
私たちの生きている社会もそのように見え、神以外のものが主導権を持っている世界だと
信じそうになります。
<この時のためにこそ、あなたは王妃の位まで達したのではなかったか。>
この言葉に、はっとさせられました。エステルは、自分が王妃となった理由を考えさせられます。
王が選んでくれた。自分が美しかった。それら自分で分かることだけでなく、自分の存在のもっと
深いところに目を向けようとしました。
今の自分が存在している。そのことに、人の思いを越えた何かが働きかけていると
信じるのはそう難しくはありません。
聖書は、それは運や運命といった訳の分からないものではなく、人に命の息を吹き込み、
生かし、導いていかれる神の願いが込められて、今のあなたがいることを告げます。
エステルは、その視点を回復しました。王、権力者、自分、ましてや運命などというのでなく、自分を愛し、
生かしてくださる神の支配を信じました。その視点を回復したときに、命をかけて生きる道を見いだし、
その道を進み始めました。
神を知ることで、人は確かな人生の道を開きます。